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田中浩康が横浜DeNAベイスターズに残したモノ。ラミレス監督を”恩人”と称える深い絆…。

田中浩康が横浜DeNAベイスターズに残したモノ。ラミレス監督を”恩人”と称える深い絆…。

2016年のオフシーズンに横浜DeNAベイスターズへの入団が発表され、2年間とっておきの存在感を放った田中浩康選手。

2018シーズンが終了し戦力外通告が発表されていましたが、今日(2018年10月16日)田中浩康選手の現役引退が発表されました。

球界を代表する苦労人でチームのために身を粉にしてきた田中選手は横浜DeNAベイスターズに何を残してくれたのでしょうか。

また、若手の時に、現DeNA監督であるラミレス監督と出会い、人生を変えるアドバイスを貰ったことをキッカケに、ラミレス監督を“恩人”と称えている素敵なエピソードをご紹介していきます。

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田中浩康のプロフィール

戦力外通告を受けたこともショックですが、遂に現役引退を発表したことに動揺を隠しきれません…。

Twitter上でも引退を惜しむ声がチームを問わず溢れていますね。

それくらい12球団のファンに愛され、野球人としての人生をひた走ってきた田中浩康選手。

ただ、引退を悲しんでファンがいつまでも悲しむことを望んでいないと思いますので、これまでの経歴などを簡単に振り返っていきましょう!!

引用元:https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/npb/2017/04/05/___split_34/

氏名:田中浩康(たなか ひろやす)
生年月日:1982年5月24日
年齢:36歳(2018年10月現在)
出身:京都府木津川市
身長:177cm
体重:77kg
投打:右投右打
ドラフト:2004年自由枠(ヤクルトスワローズ)
年数:14年目
背番号:67(ヤクルト時代は7番)
ポジション:内野手(主に内野手)
出身高校:尽誠学園高等学校(香川県)
甲子園成績:1年・2年時にセカンドとして夏の甲子園に出場
経歴:尽誠学園高-早稲田大-東京ヤクルト(05~16年)-横浜DeNAベイスターズ(17年~18年)
代表歴:第1回世界大学野球選手権日本代表、日米大学野球選手権大会日本代表
その他:ベストナイン(2回・二塁手部門)、ゴールデングラブ賞(1回・二塁手部門)

以上が田中浩康選手の簡単な経歴&プロフィールになります。

これだけでは全然語り尽くせないんですが、早稲田大学で六大学野球リーグに出場しベストナインに選ばれるだけでなく、現ヤクルトの青木宣親選手や現阪神の鳥谷敬選手ともチームメイトとして切磋琢磨していた仲間なんです!!

 

ヤクルト入団のルーキーイヤーは8月にイースタンリーグの月間MVPを獲得し、新人ながら打率.286を残すなど将来性を見せてくれました。

ヤクルト所属の晩年は誰もが知る選手・山田哲人選手の台頭で出場機会が減ってきていましたが、指導者の道ではなく現役続行を求めてベイスターズに来てくれました。

セ・リーグ6球団中、チーム犠打が圧倒的に少なかったベイスターズにとって通算302犠打を誇る田中選手の加入はとても心強かったです。

守備力にも定評がありましたし、若手が多いベイスターズにとって良い兄貴分が来てくれたな!と。

 

頼れる兄貴分がベイスターズに所属していたのは2年間と短かったですが、経験豊富なベテランは若手中心のベイスターズに何を残してくれたのでしょうか?

残してくれたモノは当然たくさんあるんですが、少し的を絞って振り返っていきたいと思います!

田中浩康が横浜DeNAベイスターズに残したモノ

いろいろベイスターズに足りないモノを持ってきてくれた田中選手。

そんな田中選手ですが、今回フォーカスしたいのは『年長者として残してくれたモノ』です。

若手が多く経験が少ないのがベイスターズの短所であり、長所でもありました。

勢いに乗ったときのベイスターズの爆発力は12球団随一だと思いますが、勢いに乗り切れない時期に打破する能力などは、やはり経験に勝るモノはありません。

 

田中選手はラミレス監督から直々に『ダッグアウト・キャプテン』に指名され、縁の下の力持ちとしての役割でチームを支えてくれたという話はご存じでしょうか!?

僕的にとても好きな話なのでご紹介させてください!!

今季の田中浩康は、実はDeNAチーム内であるポジションを担っている。その名も「ダッグアウト・キャプテン」。5月上旬に一軍に呼ばれた際、ラミレス監督から直接打診を受け、数日後の試合前の円陣でナインに正式に伝えられた。

「チームメートにアドバイスする権限を与える。若い選手の相談に乗ってほしい」というのがラミレス監督の要望だった。今年5月で36歳になった田中浩は、12球団最年少クラスで構成されるDeNAの一軍ではJ.ロペスの1歳上にあたり最年長になる。ヤクルトから移籍2年目はキャンプ、オープン戦と二軍生活が続いていたが、真摯な準備を絶やさず、チーム全体に目配りを効かせた振る舞いが首脳陣の耳にも届いていた。

将来にも必ず役立つ経験だから、と指揮官は田中浩に伝えた。最初は一軍昇格したベテランへの短い期待の言葉だった。しかし、数日後の練習中に「やっぱり正式に肩書を付け、みんなの前で紹介したい」と転じたという。今回、ラミレス監督がチームマネジメントする上で田中浩の力を頼った形になる。開幕ダッシュに陰りが見えたチームは、貯金を使い果たしてBクラスに落ちていた。

その経緯を、青山道雄ヘッドコーチが述懐する。そこには首脳陣の田中浩に対する、どこか特有な信頼が透けて見えた。「もちろん1選手の立場として頑張ってほしいけれど、どこかでわれわれ指導する側の力にもなってほしいというような気持ちもある。彼も役割を分かってくれていると思う。頼りにしていますよ」。

引用元:http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=070-20180702-01

やはりラミレス監督ら首脳陣もベテランの経験に期待していたんです。

当然、監督やコーチも百戦錬磨の経験を経て現在の姿があるわけですが、田中浩康選手は現役の選手。

現役だからこそ伝えられる言葉、現役だからこそ伝わる言葉があったに違いありません。

 

現に、今年は例年にも増して、新加入の選手や2軍選手が1軍昇格を勝ち取って結果を残すというシーンが目立ちました。

内野手では、宮本選手や中川選手などの新加入メンバー、柴田選手をはじめ山下選手や佐野選手などの期待の若手が台頭してきたのは、田中選手のアドバイスがあったからかもしれません。

 

プライベートや練習中の会話などを知ることはできませんが、選手間の競争意識がとても強くチームとして盛り上がっていたのは間違いありません!

若手のチームに無いモノを田中浩康選手はもたらしてくれたと僕は思っています!

来年以降、残してくれたモノを糧に、更なる若手の台頭が待ち遠しいです。

 

そんな全幅の信頼を勝ち取っていた田中選手ですが、どうやらラミレス監督とは“監督と選手”という垣根を越えた関係だったことがわかりました。

そちらのエピソードもご紹介していきます!!

ラミレス監督を”恩人”と称える深い絆…。

実はラミレス監督と田中浩康選手は、ただ単なる監督と選手という関係ではありませんでした。

僕も全然知らなかったのですが、大卒プロ2年目で戦力として芽吹くのを期待されていたそのプレッシャーに押し潰されそうな田中選手に対して、

既に来日5年目で日本球界で活躍し続けていたラミレス監督がアドバイスを授けたことがキッカケで吹っ切れたという運命を感じざるを得ない逸話です。

田中浩とラミレスの関係は深い。早大からドラフト自由獲得枠でヤクルトに入団したのが2005年。そこからラミレスが巨人に移籍するまでの3年間ともに神宮球場を本拠として戦った。すでに日本で5シーズン目を迎えていたラミレスは、打撃やパフォーマンスの人気のみならずチームの中心選手としての存在感があった。田中浩はプロ2年目の出来事を今でも忘れない。

その年はレギュラー定着が期待されながら、打撃不振が続いていた。即戦力の評価で入団した焦りと二軍降格の重圧に押し潰されそうだったある日、試合前練習に向かう田中浩は通訳に呼び止められた。ラミレスが、どうしても話したいことがあるという。

神宮球場の右翼後方にポツンとある、クラブハウス内の会議室を予約してラミレスが待っていた。「タナカ。おまえは若くて素晴らしい選手だが、一つだけ足りないものがある」。そう切り出し、続けた言葉は田中浩の心情を的確に突いた。

「もしかしたら今日がおまえのラストチャンスかもしれない。結果がしばらく出ていない。俺にも若いときに経験がある。なかなか結果が出ずに空回りした。でも、おれは新しいゲームが来たら常に新しい気持ちで、過去のことは遮断して、前向きにプレーすることを心がけた。そうしたらうまくいったんだ」

田中浩は「分かりました。今日の試合、もしスタメンだったら思い切っていきます」と答えた。気持ちの吹っ切れというものを実感していた。その日、後先考えずにフルスイングした打球が、内野と外野の間にポトリと落ちた。

その成功体験を境に田中浩は安定した成績を残して正二塁手の地位を築き、翌07年にはベストナインを受賞した。「言ったら、俺の恩人の一人だよ」と懐古する。

引用元:http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=070-20180702-01

神宮球場で運命的な出会いを果たしていたんですね!

それも、とても大きな大きな出会いです。

“恩人”と呼べる人なんて、人生で早々出会えるものではないですし、このエピソードを10年以上経った今でも覚えているというのは、胸が熱くなりますね。

 

もしかしたら、ヤクルトを戦力外になってからベイスターズに来てくれたのは、この様な縁があったからかもしれません。

そう考えると、ラミレス監督の人間性に感謝しかないですよね!

 

田中選手がベイスターズに来てくれたという運命的な出会いも、今後のベイスターズを背負っていく若手にとって大きな財産になっているハズです。

まとめ

プロで14年間、第一線で戦い続けた田中浩康選手が引退してしまったのは悲しいですが、まだ36歳です!

これからもしかしたら、ヤクルトやベイスターズで指導者としての人生を歩んでいくのかも知れませんし、全く違う人生を歩むのかもしれません。

どんな決断でも僕たちファンはいつでも味方ですし応援してます!!!

今後も元気な姿を見させてくださいね!

 

‘VICTORY’ is WITHIN ‘US’.
勝利は、我らの中にある。

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